産まれました報告!!!(遅くなってしもうた…

産まれました!産みました!!

3/16 16:09 無事に3172gの元気な女の子が産まれました〜!

twitterなどにはつぶやいたのですが、
主に産後の疲れやら、おっぱいおむつ作業で
日記に報告が非常に遅くなってしまいました。。
twitterをやっていなくて、どうなってんの?!産まれたの?どうなの?と思っておられた方、
報告が遅くなってしまいご心配おかけしてすみません!



命名、、「晴子(はるこ)」です!


産まれて一時間後くらいのはるちゃんです↓


入院中の一枚。
病院で沐浴してきれいになったはるちゃん。
おでこの辺が奈良さんの書くこどものようだ。


これまた
入院中の奇跡的な一枚。
すました顔をしてるけど、襟もとにお乳をゲーしたあとが。


とくにひどい黄疸もなく無事に退院できました。



いま産んでから3週間ほどたったのですが、
早く記しておかないとほんとに忘れそうなので、
記憶にある範囲で産んだときのことを書いておきます。主に痛みを。笑(注意:長いです)


産んだ直後の感想は、とにかく予想以上に痛かった…!の一言。
これから産む予定のある人、怖がらせてすみませんね〜、
個人差があるはなしだと思うのであくまでわたしの感じたはなしということで。
ってか他の人がどんななのかわからない世界です。


あと、助産師さんが神に思えました。
(産んでいるときは先生よりもむしろ助産師さんが神、という印象、わたしは。)
助産師さんはまさに命の恩人(2つの命のね)。。ものすごい専門職だと思った〜。
次の日も担当だった助産師さんが病室にこられたときに
「昨日は本当にどうもありがとうございました。おかげさまで無事に産むことができ…おかげさまで…(以下略)」
みたいな挨拶が自然と出ましたもの。。



出産ですが、
わたしは、里帰りして実家にから一番近い普通の(という表現でいいのだろうか)総合病院で産みました。
特に無痛分娩ではなく、帝王切開でなく、下から出産なのですが、
結局出産予定日をすぎても産まれてこないため、
誘発して産んだ方がいいというお医者さんの判断があり、
(吉村医院などはきっと産まれるまで待つのだと思いますね。。。
あとは私が太りすぎて…というようなこともあるのかもしれないです)
え…誘発するのか…と思いつつも、
こうなったのもすべて私の運動不足のせいなんだろうか、と反省しながら覚悟を決め同意。
すべて自分の妊娠10ヶ月の答えなんだ…
もしくは、すごくマイペースすぎるこどもなんだろうか、、、
などと感じながら、15日の朝から入院。。


子宮口が開いてないので、
陣痛を促す錠剤を一時間ごとに飲んでいくのと、
まずは海藻でできた棒?みたいのを入れて子宮口を開かせることになった。
昼くらいには棒の次はバルーンという水風船みたいなのを入れてさらに広げにかかる作戦らしい。
たしか東村アキコ先生も、ママはテンパリストで書いてたと思うのですが、
東村先生もたしかバルーン入れて誘発してましたよね。
なんと期せずして私も東村先生とおなじ道をたどることに!

たしか午後2時3時くらいまではとくに痛くもなくて、これ、くすり効いてるのかな?
暇だ〜と思っていて、付き添いにきていた母も「おかあさん一旦家に帰ろうかな〜」とか言っていたのですが、
バルーンを入れてちょっとたったあたりから徐々にきたきた!痛くなってきた!

ここら辺で、ダンナが東京から到着。立ち会いにやってきた。
震災の影響で新幹線などが通ってるか危ぶまれたが幸い来られました。

最初は「これは生理痛のちょっとひどいくらいのやつだな…」くらいの感じで、
twitterに「波がきた〜」とかつぶやける範囲だったのが、
徐々に痛みがエスカレート!夕方、つぶやく気になれないレベルへ。。
病院のよるご飯は痛くて食べられなく
母が買ってきていたパイナップルとサンドイッチを寝ながらつまんだ。
ちょうど痛みがきているときに父がきてなにか話しかけてきたようにおもうのですが、
(たしか「痛いのか?」というような、みてりゃわかるだろっていう質問だったと思うのだが、
というか多分父もなんと話しかけてよいのかわからなかったのだろう)
面倒くさい会話は迷わず無視ッ!!
という選択をとらざるをえない痛み。

教訓。
陣痛がきてる妊婦に話しかける人は
痛みの波が引いたときをみはからって話かけよう…。


引き続き、
おなかに陣痛と赤ちゃんの脈拍がはかれる機械?みたいなのをつけながら、
陣痛の間隔が短くなっているかどうかを看護士さんなどがチェックしにきながら痛みの波との戦い。
だんだん痛みの間隔が短くなっていって、
5〜10分おきくらいの陣痛くらいまできて、夜、先生が様子見に部屋にきて(たしか夜12時くらいだっただろうか?記憶が定かではない)、「もしかしたら今夜産まれるかもね〜ハハ〜頑張って」と言い残し去っていった。
(多分一旦先生は家に帰った)
痛いものの、そこから進まず、結局3時くらいまでは痛かったが痛みの間隔が逆に落ち着いてきてしまった。
なので、3時くらいからはちょっと寝た。
そして次の日へ持ち越し…。。ハ〜…。


さて次の日!
16日!朝、季節はずれの雪がちらほらしていた。
早朝担当の先生病室にきて、
「昨日産まれなかったみたいだね〜じつは今日別の病院にいかないといけないから別の先生に頼んでおくから、じゃあ頑張ってね〜ハハ〜」と言って去っていった。(え、今日は別の先生なの?!と心のなかでひとり突っ込み)
朝の時点でいつも担当ではない別の女の先生に内診してもらったところ既に子宮口は5、6センチは開いている、
多分昨日の夜の時点で開いてたんじゃないかとのこと。
今度は点滴で量を調節して陣痛を促すことになった。

病院の昼ご飯を食べたあたりから
痛みは徐々にエスカレート。
昼には雪もやんで晴れていた。
昼ご飯はみそかつが出た。中部圏っぽさを感じた。
昼ご飯は全部じゃないけど、ちょっと食べられた。
痛みはどんどん話せぬレベルに。痛みの間隔が短くなっていくのと痛みがどんどん強くなっていき、
うめき声がでる。この時点ではまだ病室のベッド。
痛さ的に産まれそうな勢いだと思い、もう産まれそうなんじゃないかと訴えたら、助産師さんがチェックして、
「う〜んまだ分娩室にいくにはもうちょっとかな」と言われ、(え、こんな痛いのにまだなの?!)と思った。
で、もう目もあけるのがやっとというときに、
病室の向かいの陣痛室という分娩室の横のちょっとしたスペースへ移動することになった。
歩いていくらしい…。ってかこんな痛い状態で歩くの無理なんですけど…と思いながら、
助産師さんや母やダンナなどに支えられながら、まさに文字どおり一歩一歩という感じで歩いていった。
ものすごい長い道のりに感じたが、あとでみたら廊下はさんで向かいの部屋のめっちゃ近い距離。


陣痛室というところで横になりながら、
いきむような痛さになってきて意識朦朧。
昼食べた味噌カツがこみ上げてきた。
これは気持ち悪いとかじゃなくて、なんか痛いときに胃が圧迫されて逆流して出てきそうっていう感じで、
吐くかもしれんということをアピールしたらビニール袋が用意されたが、結局は吐くことはなかった。
味噌カツ食べたことを若干後悔。
そして、陣痛室で助産師さんの「今破水しましたよー」という声が聞こえて、
いよいよ分娩台へあがることになった。
私自身は時計をみる余裕なく、後で聞いた話にはこの時点で14時くらいっぽい。。
またこの、分娩台への道のりが長い。(実際はめっちゃ隣)
一歩一歩歩いてって、台に乗る。
私はとにかく今どれくらいまで下がってきていてあとどれくらいなのかという状況がきになって、
うめきつついきみつつ「まだですか?」を連呼した記憶。
ここらへんの助産師さんの声かけがうまくて、「上手ですよ〜(多分いきむのが上手という意味?もしくは赤ちゃんがでてくるのが上手という意味?)」とか「もうちょっとだよ〜」とか絶妙のタイミングで言ってくれるため、頑張れた。
いきむタイミングがきたときは、
(いきむってこれか!!)という感じ。本能的な感じ。
いきむ痛みがくるときは頭をかきむしりたいようなやり場のない痛みで、
何か握るものが必要!そこに
ダンナの手があったので、握っていたのですが、ダンナの手を握りつぶす勢いであった。
ダンナの手を握りつぶされそうだったと言っていた。
最初は助産師さんだけだったはずだったのだが、知らないうちに先生もいた。
そうこうしているうちに、助産師さんの「頭が見えてきたよ〜もう頭が触れるよ〜」という声がした!
と思っていきんだら一気にスルスル〜となんか出てきて、
「産まれましたよ〜女のこですよ〜」という声とともに、へそのおがついた状態で見せてくれた(気がする)。
放心状態。全身がワナワナ。
安堵とやりきった感とうれしさと不思議と疲れが入り交じったような。
その後、カンガルーケアという生まれたてのこをおかあさんの体に乗せておっぱいを吸わせたりするアレを1時間くらいしまして、これがめっちゃかわいかったな〜。
その間、産まれるときに裂けたところ(←赤裸裸御免)
を先生が縫ってる風だったので、
「あ、やっぱ結構裂けてるんですか?」と聞いたら、
「結構ね〜。」と言われた。←さばさばした女の先生。
縫ってるのをみてはじめて(あ、やっぱ裂けたんだ…)と思ったほど、(裂けたの?切ったの?それすらも不明)、そんなのぜんぜん気がつかなかったですよ…!

ってな感じで16日の16時9分に無事に出産いたしました!


破水して分娩台にあがってからは、2時間くらいだったとのこと、
あと母子手帳などに記入される分娩時間は、陣痛がつき始めてからの時間らしく(前日痛かったのはカウントされず)
5時間59分と書いてあったので、
そうみると割に安産の方なのかもしれないですが、
比べようがないので、これが安産なのかもわかりかねます。。
が、どんなかたちであれ
とにもかくにも自分もこどもも無事に産まれてよかったーー。。。



正直、ダンナの立ち会いはどちらでもいいと思っていたけど、
感想としてはいてくれてだいぶ精神的に助かりました。
握る手を差し伸べてくれてありがとう……。

あと、
実は妊娠中に友人から、
「分娩台にあがったら富士山の絵を走り書きでもいいから書いて」と頼まれていて、
というのも、”出産中の人が分娩台で書いた富士山の絵にはいいパワーがあって持ち歩くといいことがある”と
ヒーラーの人から教えてもらったらしい、で、
メモ用紙とボールペンを携帯して、ダンナにも、その話をしていたのですが、
一枚くらいペロっとかけるじゃないかと思われるかもしれませんが、
とてもとても書けるような感じではありませんで、書けませんでした。(まいさんごめん…)
いちお産んだ後分娩台で一枚書いてみたけど効果あるだろうか、、分娩台の上には違いないが。




現在、産まれてきて3週間ほどたち、
お乳とうんちとおしっこであけくれる毎日です。
一回寝たら2、3時間くらいは寝てくれるけど、
寝るまでが、だっこだと寝るけどベッドにおいたら泣き出したり…大変だ〜。
このブログも寝たすきにちょっとづつ書き足していたら遅くなってしまったんですよ。。
そして文才がなくて読みにくいと思うんですがごめんください。


昨日はダンナであるハルちゃんのお父さんが一泊して遊びにきてくれたんですが、
沐浴がうまくできなかったりだっこして泣かれたりに本気でへこんでたのでウケました。

ぶっちゃけ沐浴はすでに2児のパパである弟が一番うまい!!
さすが現役。
わたしも弟に教えられつつです。
新米だ〜。


いや〜しかし、ちょっと前までおなかの中にいたんだと思うと不思議でしょうがないです。
おっぱいを夢中で飲んでいるところが特にかわいいです。


ではまた、ブログ書けたらかきますね〜

寝ているときが平和…。